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音楽にかまけて その6 〜〜お酒とコーヒーと音楽の店 楽屋 青山将之



休憩室×音楽屋×くつろぐ場所。そんな意味を込めて名付けられた楽屋さんは、音楽を聴きながら気軽に飲めるお店です。
レコード・CDの数は、村上で一番!オーナーが集めたジャズをメインに、ブルースやボサノバなどが揃います。また、軽食には注文を受けてから作るというポップコーンや、お酒の〆に大人気のお茶漬けパスタなど、こだわりのメニューがありますよ。
『明朗会計の気軽な音楽酒場』、楽屋で日常空間を少し離れ、音楽に浸ってみませんか?

 
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 <クリエイション>


ギタリスト打田十紀夫さんのライブは毎回プロレスのネタを交えたトークが魅力のひとつだが、今年のトークで往年の名レスラー、ドリー・ファンク・ジュニアの話になった。
何とドリーが最近来日して試合をしたという。七十三歳にしてリングに立つドリー、恐るべし。
彼の得意技スピニング・トーホールドをイメージして、日本のロックバンドであるクリエイションが、その名もズバリ「スピニング・トーホールド」という曲を作った。ファンク兄弟の入場曲として人気を博し、この曲をかけると今でも多くの人が好反応を示す。
この曲には「スピニング・トーホールドNo.2」という別バージョンが存在するが、これこそ隠れた名演で、例えばNo,1がカレーライスだとすると、No.2はカツカレーほどに重厚感と華やかさが増す。

 

 

 <ジョニー・グリフィン>


ジョニー・グリフィンの「リトル・ジャイアント」が楽屋で初めてリクエストされた。
わたしも好きでよくかける盤でも、リクエストされて聴くというのは、何となく趣がちがって新鮮な感じがする。
この盤収録の「ザ・メッセージ」を聴くと、ふとサラリーマン時代を思い出す。東京で子供服を輸入する仕事をしていたころ、大阪の倉庫に検品に行くこともあった。中国から船積みされて来た小さなTシャツの、穴あきや寸足らずのB品を探すという何とも気持ちの沈む仕事だったが、移動の道中に聴いていたカセットテープには救われたものだった。
ちょうどジャズを聴き始めたころでもあり、廉価盤の中にたまたま入っていたグリフィンのこの曲にわたしは元気づけられた。
ファンキーなサックス奏者が好きになったのは、このころからだと思う。

 

 

 <ガルコスタ&カエターノベローゾ>


金曜土曜が忙しかったとき、あけた日曜の精神状態はなかなかいい。
日曜のと月曜はおそらく混まないし、あと2日で定休日の火曜だし、などと反営利的なことを考えながら、穏やかな気持で店を開くことができる。
そんな日曜日の早い時間に、よくガル・コスタとカエターノベローゾの「ドミンゴ」を聴いて、ぼーっとする。ポルトガル語で日曜日というタイトルのボサノバの名盤で、ガルとカエターノふたりの気だるい歌唱がいい。
CDの帯にある「ぼーっとしてたら終わっちゃうかも」というコピーもうまいが、このアルバムはまさにぼーっと聴くためにあると言っていいと思う。
コーヒーでも飲みながら聴けば、上質のゆるやかな時間が過ごせることまちがいなし。

 

 

 <ブッカー・リトル>


お客さんがスタビライザーを持ってきてくれた。
レコードの上にのせるおもしで、大判焼きのような形をしている。かなり重く、計ってみると700gほどある。持ち主の方が長らく文鎮として使っていたというのもうなずける。
スタビライザーをのせると振動や盤のそりが抑えられ、針がみぞをなぞるのを安定させて、音がよくなる、ということらしい。とくに低音がよくなるらしいというので、ベースがすばらしいブッカー・リトルのタイム盤を回してみた。
おもしがのっているという意識のせいか、音の重量感が増したような気もしたが、正直言ってよくわからない。
ブッカー・リトルのトランペットは相変わらず荒々しく、スコット・ラファロのベースもブンブンうなる。
やっぱりいいなあとしか言えないわたし。
ちがいのわかる男にはどうもなれない。

 

 

 <メリー・ホプキン>


焼き鳥屋でホッピーを飲みながら大笑いしていると、聞き覚えはあるのだけれど思い出せない歌が流れてきた。
どうしても知りたくなり、失礼して携帯電話に頼って曲名を教えてもらうことにした。携帯電話に曲を聴いてもらい、曲名を教わる。もはやドラえもんの世界が現実のものとなりつつある。
曲は、メリー・ホプキンの歌う「悲しき天使」だった。
1968年に英国の歌手メリー・ホプキンが歌って大ヒットしたが、原曲はロシア民謡らしい。さっそく日本のドーナツ盤を仕入れて、楽屋でも聴いてみた。
ロシア民謡特有の哀愁のおびたメロディーもさることながら、少女趣味的ジャケットやタイトルの字体も妙にいい。
ただ、そんな時代もあったよねと昔を懐かしむ歌に、なぜこのような意味不明の邦題がついたのか。
それこそ、そんな時代だった。

 

 

 <フランク・ザッパ>


思うところあって、ラジオ番組に曲のリクエストをしてみた。イヤホンでラジオを聴きながら、鈍行の中でうつらうつらしていると、不意にわたしのメッセージとともにその曲が流れてきて、眠気が一気に覚めた。曲は、前衛ロックの革新者、フランク・ザッパの「ハングリー・フリークス、ダディ」(1966年)。田んぼをながめながら聴くザッパというのもおつなもので、しかも番組の色にも意外と調和していたと勝手に自負している。しかし何より、わたし一人だけの求めによってその曲が公の場で流されているということに妙な優越感があり、何とも刺激的な数分間だった。同じ曲でも一人自宅のオーディオで聴くのとは明らかにちがう感慨があるリクエスト。調子に乗ってそれから何度も出しているが、いまだかからず。世の中そう甘くはない。

 

 

 <渋谷毅>


心あるお客さんが持ってきてくれた浅川マキ1991年ライブのパンフレットを読んでいると、わたしが約20年にわたり勘ちがいしていたということが判明した。
彼女の9作目「ライブ夜」のジャケットに写っている男性は、わたしが思い込んでいた泉谷しげるではなく、ピアニストの渋谷毅なのだという。恥ずかしながらも、どうも似てないなとずっと思っていたモヤモヤがすっきりと晴れて、実に気持ちよかった。
この1977年の京都大学西部講堂ライブでの初共演から、2010年1月に浅川マキが急逝する前日まで、もっとも長く彼女と共演し続けたのが、渋谷毅だった。
自身率いる「渋谷毅オーケストラ」や前衛楽団「渋さ知らズ」でも活躍する多彩な彼のピアノは、やはり浅川マキの歌声と聴くのが抜群にいい。とわたしは思っている。

 

 

 <ボブ・ディラン>


先日、初めてボブ・ディランのライブを聴いた。
まず、格好よかった。こうも格好のいい72歳の男性というのもそうそういないと思う。ディランと言えば、初期作品の数枚しか聴いたことがなく、1961年に録音された1作めの弾き語りがとくに好きなわたしは、今回ライブの聴き方を大きくしくじった。
演奏されたのはほとんどが最新アルバム「テンペスト」(2012)からの曲で、わたしの知る曲が1曲もなかったのだ。これはつらい。つらいというより、往年の名曲もやってくれるだろうと勝手に期待したのがまちがいだった。アンコールでようやく初期の代表曲「風に吹かれて」をやったらしいが、アレンジされていてそれと気付かなかったのだから救いようがない。
今さらながら、今回得た教訓。
コンサート、最新作を、聴いてから。

 

 

 <クルト・ワイル>


とくにジャズには、スタンダードと言われる定番曲が数多くあり、ひとつの曲を無数の奏者がそれぞれのアレンジで演奏するので、自分の好きなスタンダード曲をあれこれ聴き比べるのもおもしろい。
わたしの好きなスタンダードのひとつ「スピーク・ロウ」は、ドイツの作曲家、クルト・ワイル(1900ー1950)がミュージカルのために書いた曲だが、多くのジャズ奏者が取り上げていて、いくつもの素晴らしいバージョンが存在する。
しかしその多くはワイルの死後の録音であり、おそらくジャズスタンダードとしての「スピーク・ロウ」は、ワイル本人はほとんど聴いていないはずだ。
何と惜しいことか。
ウォルター・ビショップ・ジュニア、ビル・エバンス、バーニー・ケッセルなどの名アレンジを、ワイルが聴いたらどう感じるだろうか。

 

 

 <サミュエル・ホイ>


2014年の旧暦元旦は1月31日だった。
日本でほとんど祝うことのない旧正月が、中国ではにぎやかに祝われ、一年で一番長い連休となる。
この休みに香港の友人家族が村上に遊びに来てくれて、お土産にビヨンドという香港のバンドのCDをいただいた。
一曲目でテレビ番組「電波少年」の主題歌が流れてきて驚く。わたしが返礼的に、往年の人気歌手、サミュエル・ホイの歌をかけると、彼らは懐かしいと喜んでくれた。
サミュエルが音楽を手がけた香港映画「ミスター・ブー」(1976年)は日本でも大ヒットし、その主題歌「半斤八両」は、多くの日本人に今でも記憶されている名曲である。
広東語ポップスの先駆的な存在であるサミュエルも今年で66歳。
今でも元気に歌っているのはうれしいことだ。

 

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